オーネット・コールマン、ジョン・コルトレーン、マイルス・デイビスにおけるアフリカ回帰性・・・(1)

バッハ以前のヨーロッパ音楽では、和声がなかったとされている。しかし異なった二つの旋律が、同時点で重なってハーモニーが生じることは普通にあったはずである。そのことはかなり意識もしていたはずでその証拠に対位法なるものがその時代存在している。メロディがあってそれを包み込む空間としてのハーモニー的な認識はなかったと考える。メロディがあってそれにハーモニーを伴奏させるという考えはなかったのだ。そして音律(旋法、スケール)はあった。その時代、多数の民族音楽・民族舞踊があったはずで旋法も多数あり多様なリズムがあったと考えられる。音律があり、コードがなく、リズムがある音楽。音律があるということはトーンセンターがあるということで、これはオーネット・コールマンの音楽と同じということだ。そしてこれはアフリカ民族音楽とほぼ同じシステムであると言える。

ジャズにおけるアフリカ民族音楽とクラシックの混合において極端にアフリカに寄ったものが、オーネット・コールマンのジャズだと言えるのだ。このオーネット・コールマンのジャズとアフリカ民族音楽の違いは、オーネット・コールマンの方がクラシックの楽器を使用していることと音楽の中にドミナントという概念があることだ。そしてベースとドラムがビバップを引きずっている。曲にもよるが、リズムはビバップと同じといってよいだろう。 テーマ→アドリブ→テーマ という構成もビバップと同じだ。センタートーンがあり、音律があり、機能和声がなく、メジャーとかマイナーとかの調性はないが、もっと広い意味でのアバウトな調性感はあって、単数あるいは複数のメロディとリズムだけの音楽システムを人はトーナルセンターシステムと呼ぶ。これはフリーミュージックの代表的な手法のように言われているが、決してフリーではない。世界の民族音楽の大多数がこのシステムであり、これがごく普通の音楽なのである。ここから見ればクラシックは縛りが多く窮屈な音楽に見える。

オーネット・コールマンは、初期の頃はチャーリー・パーカーのように吹いていたとされている。その後大きくアフリカ寄りのジャズになったのである。

オーネット・コールマンの特筆すべき点は、平均律によるハーモニー楽器を排除したことにある。これによって、メロディが平均律から大きくはずれることが可能になったのである。

インド古典音楽では、1オクターブを22個のシュルティに分割している。これは、1オクターブに 22 の音程(インターバル)があるということで、スケールの主音を入れると、 23 音階ということである。均等には分割されていないが,これは平均律の半音の約 1/2 の音(微分音)が混ざってくるということである。その上、ピタゴラスの考えから導き出されたとする ド レ ミ の音階と、それに相当するインド音楽の ド レ ミ は少しずれていて、それもアバウトではなく分数で正確に決められている。アフリカ民族音楽は、インド音楽とは違い、5音階が多いとされているが、この5音階の ド レ ミ も平均律の ド レ ミ  とは当然違うのである。

チック・コリアや、中期のジョン・コルトレーンマイルス・デイビスが演っているモード並びにトーナルセンターは、ピアノ、キーボード、ギターが参加しており、メロディが平均律から大きくはずれることはむづかしい。オーネット・コールマンの音楽に較べれば、かなりヨーロッパ寄りのジャズになっているのだ。

チック・コリアもマイルス・デイビスも、ジョン・コルトレーンもオーネット・コールマンも、決してアドバンス(前進)ジャズではない。モードもトーナルセンターも世界の民族音楽の多数を占めている。システムとしてはかなり古いシステムである。。グレン・ミラーも、チャーリー・パーカーも、マイルス・デイビスもオーネット・コールマンも、横一列なのだ。音楽において前衛も後衛もない。当然、クラス(上下階級)もない。クラシックは、このクラスから派生している言葉だが、ある意味差別用語である。音の振動に貴賎はないのだ。純性音楽というのも、他は不純みたいで差別っぽい。

1959年のオーネット・コールマンのCD “The Shape Of Jazz To Come”1曲目 ”Lonely Woman”オーネット・コールマンとドン・チェリーのユニゾンでテーマが始まる。オーネット・コールマンもドン・チェリーもベースのトーンセンターの D から見ると平均律的には少し甘い。オーネット・コールマンとドン・チェリーのユニゾンも少しずれている。そしてリズムもかなりアバウトだ。そしてユニゾンのフレーズ音の長さもそれぞれ違っている。形式的には テーマ→アドリブ→テーマ となっている。ドラムもベースもビバップジャズに似ている。 2曲目 ”Eventually” トーンセンターは C で始まるアップテンポの 4 ビートジャズだ。チャーリー・パーカーによく似ている。フレーズも普通のビバップを聞いているような印象だ。機能的和声がないのでフレーズの中にトーンセンターの音が多ければトニック、なければドミナント、ラインが上昇すればドミナント、下降すればトニック、フレーズが高音域であればドミナント、中音域だとトニック。強い音はドミナント、強くなければトニック、タイミングが前だとドミナント、後ろだとトニックだ。また、ベースラインも含め音域的に他の楽器とぶつかるとドミナント、上下に離れるとトニックとなる。ピッチが平均律に近づくとトニック、離れるとドミナントという考えもある。二つのメロディのタイミングのずれ幅でもドミナント効果をコントロール出来る。トーナルセンターシステムにおいて,ドミナントをどうするかに決まりはない。ドミナントの設定の仕方によって、それぞれのバンドのカラーが変わるということである。ドミナントがなくてもトーナルセンターシステムではあるがドミナントがないと音楽が成立しないと考えている。ドミナントとは支配するという意味であるが、ここではこの意味では使っていない。トニックに対峙するものという意味で使っている。

ハーモロディスク理論については,多数書かれているが、結局はっきりわかっていないことになっている。採譜もせずに思いつきで書いている人も多い。この理論に、Cメロをアルトサックスとトランペットが移調もせずそのまま吹くというものがある。これはテーマなど決まったメロディを同時に吹く場合は、特別変には聞こえない。完全 4 度離れているわけで,きれいにハモるのである。しかし、ベースのセンタートーンに対して、アルトサックスは短 3 度、トランペットは長 2 度ずれて音が出るのでポリセンターになってしまう。

ポリセンターは、ポリトニックとは違う。ポリトニックは、ポリハーモニーに近い。ポリセンターは、同時に複数のセンタートーンが存在することを言う。ポリトニックとは、同時に複数のハーモニーとしての調性が存在することを言う。ポリセンターもラインとしての調性感はある(メジャーとかマイナーとかではなく、漠然としたあいまいな調性感)。そしてポリセンターは、マルチトニックとも違う。

マルチトニックとは、非機能的コード進行の一種で、 2   トニックシステム・ 3  トニックシステム・ 4トニックシステム・ 6   トニックシステム・ 12 トニックシステムがある。このマルチトニックシステムは、一つのコード進行の中に複数のトニックが使われれることであり、どのトーナリティにも支配されずに、それぞれが対等であることを原則とする。が、一つのトニックを多く使用することで、そのトーナリティを表わすこともできる。複数のトニックコードが同時に鳴る事ではない。このマルチトニックのトニックを、ハーモニーではなく、ペンタトニックのように単音(メロディ)で考え、これを推し進めると 12 音技法に繋がる。

また、ポリメーターという概念があるが、これは、例えばテンポ 120   のメロディと テンポ 131  のメロディ又はリズムが同時に進行することを言う。ポリリズムとは違う。ポリリズムとは、リズムは違うが 1小節の長さが同じとか・ 1拍の長さが同じとか、共通性がある。それが同時に進行する。例えば、 4拍子の 1 小節の長さと 3 拍子の 1 小節の長さが同じで、それぞれのリズムが同時進行する。又は、4 拍子と 3 拍子で互いの 1 拍の長さが共通する場合、片方の 1 拍の長さともう片方の半拍の長さが共通する場合がある。ポリメーターは基準の長さが違うということで、 1 拍の長さが違う。それぞれの 1 拍を、等倍・等分しても共通の長さが無い状態のテンポで、それぞれのメロディが同時に進行するものだ。

オーネット・コールマンのハーモロディスク理論に戻る。アドリブの場合はどうなのか?例えば、ベースがセンター C  でベースラインを刻んで、アルトサックスは実音上、Eフラット のセンターでアドリブをするということになる。これはポリセンターということになり、このシステムがアフリカ民族音楽にあるかどうかはわからないが、有り得ない話ではない。これは、同じテンポの2つの曲を同時に聞くということと同じである。結局ははっきりわからないのである。オーネット・コールマンのこのCD ”The Shape Of Jazz To Come“においては、テーマは基本的にユニゾンになっている。サックスとトランペットのユニゾンの音がベースのトーンセンターと同じトーンセンターで吹いている。アルトサックスが Eフラットに移調して吹いているわけで、このCDではこの方法は使われていない。このハーモロディスク理論についてはトーナルセンターシステムの中の二次的(サブ的)な理論と考えた方がよく、それも一時的なものである可能性が高い。オーネット・コールマンもその後口をつぐんでいるし、共演したミュージシャンもオーネット・コールマンの理論についてそれぞれが違うことを言っているのを読んだことがある。1995年CD  ”Ornette Coleman & Prime Time /  Tone  Dialing ” においては、ギター2本とキーボードが加わり、マイルス・デイビスの ”Bitches Brew“と同じトーナルセンターシステムになっている。”Bitches Brew”の方が平均律に近く、タイミングも前でシャープに聞こえる。

繰り返すが、オーネット・コールマンの音楽は決してフリーではない。しっかりしたシステムの上に構築されているのだ。聞いた感じでは、マイルス・デイビスの音楽 (例えば”Nefertiti (1967))の、ハーモニー部分を消したものに非常に近い。ジョン・コルトレーンの音楽でのマッコイ・タイナーが居ないサウンドに近いのだ。

そんなことよりも、ほとんど言われてないがもっと大事なことがある、オーネット・コールマンのアルトサックスの音には何かが乗っているということである。チャーリー・パーカーと同じものがかなり濃く乗っている。ギターで言えばリー・リトナーサンタナ、サックスで言えばソニー・スティット、ピアノではミッシェル・ペトロチアーニ、マッコイ・タイナーと同じものだ。オーネット・コールマンのこの部分は、もっと評価されてもよい。2014/11/18

音に何かを乗せる・・・美しい音とは

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