譜面を重要視しすぎると音楽を誤る(改2)

譜面は録音機の無い時代に、自分が創り出した音楽を将来(数分後を含む)再現する為の手段として考案されたものである。音楽を記号化・単純化し、その骨組みを表すものである。作曲した本人には、それだけの情報で十分再現できるのである。他の細かい部分は、本人の記憶(脳)の中にあるからである。

譜面は邦楽を始め世界中にいくつもあるはずだが、ここではヨーロッパ音楽の五線譜を念頭において話を進める。音楽を創作した本人には自分が書いた譜面ならば十分音楽の再現は可能である。しかし、その音楽を聞いたことのない他人が、その譜面だけで作曲した本人と同じ音楽を再現できるのだろうか?恐竜の骨の化石から恐竜の全体像を想像するのに近いものがある。

譜面は音楽の骨組みでしかない。譜面には、音の高さ(インターバル)、譜割り(音の長さ・無音の長さ)が書いてあるが、その他はテンポも含めかなり大きな幅がある。かなりアバウトなのだ。スタッカートもいつも 1/2  ではないだろう。 ” ピアノ”  とか ”フォルテ”  とかは相対的なものなので曲の最初にこれがあった場合決めようがない。 20デシベルとか数字で表されている訳ではないからだ。この譜面を見てこの音楽を聞いたことのない他人がこれを演奏する場合、常識的なところで決めているのが実状だ。しかし譜面を書いた本人にはこの骨組みで十分な情報量なのである。本人の頭の中にその曲の全体が記憶されているからだ。また譜面を書いた人の癖で記譜上オーバーに書くこともある。例えば 2/3  の長さでもスタッカートで書くとか・・・。しかし本人がその譜面を見る場合には、その癖についてわかっているので全然問題ないのだ。譜面は頭の中の音を正確に記しているとは限らない。記譜上の癖がある。そしてラテンのメロディとベースラインのタイミングのズレなどは表記できない。そのメロディがタメるのかタメないのかも表記できない。メロディにおける訛(なまり)の表現もあいまいだ。当然、音に何かが乗っているとか乗っていないとか書ける訳がない。

例えばワルツを均等な拍で演奏する人はいないと思う。ワルツ以外でも民族舞曲においては、拍が均等でないものが多く見られる。舞曲は訛るものなのだ。ワルツも共同体(民族)によって違いがあるが、1拍目がかなり長いものがある。しかし、譜面上は均等な拍で書かれている。このことは、譜面の譜割りにおいてもかなり幅があることを示している。つまり、かなりアバウトなのだ。ワルツの不均等さも 64分音符 などを使えば、かなり正確に記譜することが出来るのだが、現実的ではなく、実際にそうはなっていない。譜面が非常に読みにくくなるのだ。 3拍を均等に記譜して、ここは長めに、ここは短めにの方が実用的なのである。但し、この方法が有効なのは、譜面を書いた本人、又は、その音楽の訛りを認識している仲間(共同体)に限るのである。譜面はメモと同じなのだ。それを見ることによって、記憶の中から細部にいたる全体像を呼び戻すスイッチである。必ずしも正確である必要はないのだ。

ラテンやブラジルのベースラインのタメや、ブルース・ポップスのスネアのタメも  124分音符 などを使えばかなり正確に記譜することが可能である。しかしそれでは非常に読みにくい譜面になってしまう。現実的ではない。実際には、同じタイミングに揃えて書いて、この音はタメるようにとか、口頭で指示するだけである。指示は記譜されない。認識の共有する仲間内では指示もされない。譜面とは昔から今に至るまでそういうものなのだ。ショスタコーヴィッチの作品には音符とテンポくらいしか書いてないらしい。

この、譜面の情報量の少なさから、ヨーロッパ古典音楽の解釈問題が起こってくる。大きくは ”譜面忠実再現派” と ”譜面を材料とする創作派” の2つに分かれている。そもそも音楽において解釈という言葉はなじまない。洋書の翻訳の話ではない。作曲が完成した時点で、頭の中に細部に至る全体が音として鳴っているか、楽器の音が実際に鳴っているはずである。音楽においては、解釈が入り込む余地はない。音楽は、実際に頭の中で鳴っているのである。そしてそれを感じるのみである。音楽において、解釈と言う言葉があるのは、譜面のみでは、作曲者の意図した音楽の全体像がわからないという前提の上でのことである。結局、譜面だけでは音楽の全体像はつかめないのである。

ブラスバンドやジャズのビッグバンドで、サックスセクションが ジャズの 4 beat   の 8分音符の連続をどう吹くかという問題がある。例えば、譜面に、頭拍から 8分音符が 4 つ連続して書いてある場合。これは 8分音符がハネる場合と音符がハネない場合の両方あって、ハネない場合はオールタンギングで均等な長さで吹く。日本人の場合、拍の頭にアクセントがつかないように裏拍のタイミングを少し強めにする。音符と音符の間は少し切れ目を入れるが、切れ目の長さは決まっていない。リバーブや会場の残響、楽器の残響などを考慮に入れて決定する。同じ 8分音符の連続で、8分音符がハネる場合、この時譜面上、表拍にテヌート・裏拍にスタッカートが、表記されている場合もあるが、これも、ほぼオールタンギング。表拍は軽くタンギングをして長めに吹く。裏拍は少し強めのタンギングして短めに吹く。表拍と裏拍の間・裏拍と表拍の間には、少し隙間を作る。表拍と裏拍の間の隙間の方が、裏拍と表拍の間の隙間より幅が狭い時が多い。そして、この表拍と裏拍の間の隙間の幅は、状況や奏者によって異なってくる。タンギングしても音はすぐには止まらないので、隙間を作っても表面上表拍と裏拍がくっついて聞こえることも多い。表拍と裏拍の長さの比は決まってはいない。サックスソリで吹く場合は、トップに比率を合わせるは当然である。

CD   LOUIE BELLSON  BIG BAND  “DYNAMITE” 1979年録音 1曲目 ”SAMBANDREA  SWING” を聞いてみる。キメだらけのイントロで始まるが、ドラムの LOUIE BELLSON のキメは少し遅れている。 0:25 でサックスソリのハネた 8分 のフレーズが出てくるが、ほぼオールタンギングだ。 1:03   でまたサックスソリ。そしてほぼオールタンギングだ。当然タイミングはドラム以外はかなり前(ジャズとしては普通)だ。 2:04   でテナーサックスのアドリブソロだが、ハネた 8分のフレーズはやはりほぼオールタンギングだ。このテナーサックスのタイミングによるプッシュ感とタンギングによる強弱で、このアドリブのスピード(ドライブ)感は創られている。他のビッグバンドではなかなか聞けない。アドリブの音を採譜して、CDと一緒に吹いてみると良い。普通は、プロも含めてかなり遅れて吹くはずだ。そして、このスピード感は譜面には書けないのだ。

そしてその音には、チャーリー・パーカーと同じものがかなり濃く乗っている。ピッチが良いのはあたりまえだがすごいテナーサックスだ。それにしてもドラムが邪魔だ。バディ・リッチ(ジャズビッグバンドドラマー)と較べると遅れすぎだ。2014/11/15

 

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