ベートーベン “運命” とベートーベン交響曲第 5 番

2016年5 月 3 日テレビ朝日「林修の今でしょ!講座」を観た。この番組の中で葉加瀬太郎がベートーベン “運命 ” とベートーベン交響曲第 5 番の違いについて語っていた。その内容を簡単にいうと「ベートーベンの ” 運命 ” と交響曲第 5 番は同じ曲なのだが、 ” 運命 ” というタイトルは日本でしか通用しない。外国で “destiny” と言っても外国人には何のことかわからない。外国では、ベートーベン交響曲第 5 番と言わないとわからない。日本では、 ” 運命 ” というタイトルの影響で、日本のオーケストラでは重々しく、 タメて演奏される。しかし、外国のオーケストラでは、” 運命” ではなく、ベートーベン交響曲第 5 番なので、聞こえ方が違う。」となる。そして、その実例として、日本の某アマチュア?オーケストラによる ” 運命 ” の動画が放映され、それに対し、アーノン・クール指揮の交響曲第 5 番が放映された。両方共に、最初の 10 秒位であるが、 ” 運命 ” と交響曲第 5 番の違いがよくわかる。大雑把に言うと、タイミングが、半拍違う。半拍違うということは、譜面が半拍違っているということだ。確かに、 ” 運命 ” と交響曲第 5 番は別物である。

しかし、” 運命 ” というタイトルの影響で重々しくタメた演奏になったとするには、この2つの動画の比較だけでは不十分である。十分であるにはもう一つ条件がいる。この日本の某アマチュアオーケストラが ” 運命 ” 以外の他の交響曲を、アーノン・クール指揮のオーケストラと同様に、きりっと遅れないで演奏しているということである。もし、きりっとタメないで演奏しているのであれば、” 運命” だけはタイトル上、重々しく演奏したと言える。果たしてそうなのだろうか?この2つのオーケストラが、他の交響曲でも同じタイミングのズレならば、このタイミングのズレは、 ” 運命 “というタイトルのせいではない。

オーボエ奏者の茂木大輔が、ある本の中でこう言っている。「点があってから音ですから、オーケストラというものは必ず遅い。」

日本の某アマチュアオーケストラの代わりに、N響でも結果はそんなに変わらないということだ。アーノン・クール指揮のオーケストラ、この動画のタイミングは素晴らしい。外国のオーケストラでもなかなかこうはならない。佐渡裕の指揮が、このアーノン・クールの指揮のタイミングに近いと言える。佐渡裕が世界で評価されているポイントの一つはこれだ。

外国人(ヨーロッパ人)の指揮者が皆、このような素晴らしいタイミング感を持っている訳ではないが、外国人の指揮者の方が日本人のそれに比べて、点を前に置く人が多い。それは、ヨーロッパ語(ドイツ語、フランス語、イタリア語など)の発音が、日本語の発音に比べて一瞬早いからである。言葉のタイミングが、歌のタイミングになり、オケのタイミングになるからだ。

もう一つ問題になるのは、指揮棒の点に対して時間的長さのある楽器の音のどこを合わせるのかということだ。点があってからアタック(音の先端)では、それは必ず遅れる。楽音のリズム上の点を指揮の点に合わせなければいけない。アタック(音の先端)は点にはならない。タイミングをマスターするには、時間的長さのある楽音をリズム上の点に置き換える作業が必要になるが、こする音、長い音、低い音ほど点が時間的に後に来る。コントラバスのボウイングはとにかく遅れる。チューバも遅れる。低音のパーカッション、ティンパニー、シンバルもかなり遅れる。特にコントラバスとチューバのピッチと音のタイミングが良くないといいオケはできない。いくらトランペットのピッチが良くても、チューバ、コントラバスのピッチが悪いと、トランペットのピッチの方が悪く聞こえる。普通の人間の耳には、低音が基準に聞こえるからだ。そして楽音のリズム上の点は、楽器によって全部違う。同じ楽器の音でも高音と低音ではかなり違う。オーケストラのタイミングのむづかしさはここにある。リズムは合わせるばかりではない。ズラすのもリズムだ。しかし、リズム上の点と点を合わせることが出来て初めて、イメージ上のわずかなズレを作ることが出来、それをキープすることが出来る。ズラすのとズレるのはまったく違う。

では、葉加瀬太郎の ” 運命 ” ではどうなのか? ” 運命” なのかそれとも交響曲第 5 番なのか?番組の中でピアノとチェロを加え、葉加瀬太郎を入れて全部で 6 人編成のストリングスアンサンブルで、 ” 運命” の短い演奏があった。これは聞けばわかるようにあきらかに交響曲第 5 番である。葉加瀬太郎は ” 運命”と交響曲第 5 番の違いがタイミングにあることを当然知っている。音が消えた瞬間、チェロの音がわずかに残るのが気になったが、全員日本人離れしたタイミングである。当然 N響より前だろう。そして、アーノン・クール指揮のオーケストラと比べてどうなのかというと、残念ながらまだ少し遅れている。

葉加瀬太郎のこの交響曲第 5 番の音に、川井郁子、アンネ・ゾフィー・ムターと同じ ” 何か ” が乗っていたのかと言えば、今回は残念ながら薄い。今回はというのは、他の動画で ” 何か ” がのっているのを確認したからだ。編集してないのであれば、少々クセはあるが、ピッチもよいし、いいバイオリニストだと思う。

この ” 何か ” は偶然音に乗ることもあるが、その時に演奏者がそれを認知できなければそれを継続することが出来ない。例えば、ミーシャの “Everything” である。この “Everything”  の唄にはみごとにかなり深く ” 何か ” が乗っているが、それ以前、それ以後の CD には ” 何か ” がほとんど乗ってないのだ。

プロの音楽家で差がつくのは、音に ” 何か ” を乗せれるかと音のタイミングの 二点だろう。ピッチが良く、テンポキープが出来るのはあたりまえだ。これはチューナー、メトロノームがあってわかり易い。ところが、音に ” 何か ” を乗せることと音のタイミングは、測定する器具がないのでわかりにくい。タイミングは波形でわかるものではない。プロの世界でもこの2つは方法論が確立されていないのだ。(2016/05/18)

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