人類が、人種間の混血を繰り返して現在に至っているのと同様に、どんな音楽も、その周辺の音楽との混合によって現在に至っている。クラシック音楽も、純粋に培養された音楽ではなく、無数ともいえるヨーロッパ民族音楽の混合によって、 17 ~ 20 世紀初頭に形を成したものである。(クラシックとは、クラスという言葉から派生したもので、上流という意味である) 17 ~ 20 世紀初頭におけるクラシック音楽でも音楽の混合は続いていた。ヴァイオリンは、今から約500年前イタリアで発明されたが、その後ドイツ、フランスなど、その他のヨーロッパ諸国に広がっている。ウインナーワルツだけがワルツではないし、古くからドイツは小国が乱立していて、ドイツ音楽と言っても一つではない。そしてこのクラシック音楽の混合は、 20 世紀初頭から 21 世紀の現在までも、ヨーロッパだけではなく地球的規模で継続していると考えるのが普通である。クラシック音楽と言っても色々あるが、ロマン派以降のクラシック音楽は他の民族音楽には見られない特徴 を持っている。一つは機能的和声。二つ目は 12 音平均律。 三つ目はクラシック音楽を支えてきた楽器群である。現在私たちが耳にする音楽でこの三つの特徴の影響がみられる音楽を探してみることにする。
まず、北米。拉致または強制連行されて北アメリカの大地に連れてこられたアフリカの黒人達が手にしたのは、ヨーロッパの楽器である。この辺は想像で書いている。最初は白人の好みそうなクラシック音楽を演奏していた。この時に、演奏した黒人も、それを聞いていた黒人達も 12 音平均律と機能的和声の影響を受けている。そうしている内に、アフリカの民謡をヨーロッパ楽器の伴奏で歌うようになり、ブルースといわれるものが生まれた。
ブルースの伴奏は、ギターやピアノが多いが、これらは 12 音平均律でチューニングするのが普通である。しかし、アフリカの民謡は 12 音平均律ではないだろう。当然、唄と伴奏がぶつかるのである。この唄と伴奏がぶつかる状態が長くつづくと、お互いに寄り添う行為が生じることになる。唄は、伴奏の 12 音平均律に近づき、伴奏(ギター)も唄のピッチに近づこうとするのである。しかし、ピアノもギターも 12 音平均律からピッチが大きくずれるとハーモニーが綺麗に響かない事態が生じる為、基本的には 12 音平均律を変えることはできないので唄の方が12 音平均律に寄ってくることになる。
では、どうして 1 オクターブが12 音の 12 音平均律になったのか。そして、どうしてそれが美しくハモるのだろうか。 1 オクターブが 12 音平均律になったことについてはいくつかの説があるが、とにかく、大昔のことなのでよくわからないのは当然である。音楽史に限らず、歴史は人の創作による部分が多いものだ。
和音は偶然誕生した。例えば、同じ音律による 3 声が、同時点で重なった時である。ただ、この偶然の和音が美しくなかったら、この和音を、音楽のシステムの中に取り入れることはなかったどろう。機能的和声が出来たのはこの偶然の和音を美しく感じたからである。
知人のピアノ調律師の話では、ピアノの調律は、まず、 A 音を合わせ、次に完全 4 度上の D 音を合わせる。次に、完全5 度下がって G 音を合わせ、また、完全4 度上の C 音に行く。この繰り返しで、4 度は少し広めに、 5 度は少し狭く、と言っていた。完全 5 度下降の音は、オクターブ上にすれば、完全 4 度上行と同じなので、ピアノは完全 4 度上行の連続で、全部で 12 音調律されているのだ。
ここで、このピアノの調律の方法は、ピタゴラス音律と非常によく似ていることがわかる。ピタゴラス音律は、基音から完全 5 度上の音、そして、その音からまた、完全 5 度上の音を繰り返して出来た 12 音の音律である。完全 4 度と完全 5 度は裏返しの関係で同じことと言えるので、ピアノの調律とピタゴラス音律は同じシステムである、と言える。
なぜ、12 音平均律(または純性律)になったのかについては、1 オクターブを 12 で均等に割ったという説もあるが、なぜ 7 とか 8 ではなく、 12 で割ったのかの説明がない。ピタゴラス音律の方が必ず 12 音になるので説得力があると言える。そして、ピタゴラス音律( 12 音平均率)がなぜ美しくハモるのかというと、それは、音律が完全 5 度の連続で出来ているからである。倍音から考えても、一番美しくハモるのはユニゾン。次に美しくハモるのは完全 5 度(完全 4 度)である。しかし、この美しくとか美しくないとかは、最終的には人間の感覚で決めている。クラシックの和声学も、バークリー理論も、大事なところは皆人間の感覚で決めている。美しいかどうかで決めているのだ。音楽理論どころか、あらゆる論理、科学、数学までも、最初の部分は人間の感覚(感情)で決めている。デカルトが言っている。 ” 人間の否定できない良識を出発として論理をつくる ” この 12 音平均律による重音を美しく感じたからこそヨーロッパ人は重音を重要視し、それが機能的和声へと繋がった。琵琶、三味線、琴など弦楽器は複数音を鳴らすことが可能で、一部和音的な奏法もあるが、機能的和声への発展はなかった。ヨーロッパ以外は西アジア(オスマン帝国)を含め、ほとんどがユニゾンである。何を言おうとしているのかというと、 12 音平均律が無ければ機能的和声はなかった。つまり、 12 音平均律が機能的和声をつくったということだ。世界中のほとんどの音楽が機能的和声の影響を受けている現在、ピタゴラス音律が 12 音平均律に繋がったとすれば、ピタゴラスの音楽に果たした役割は非常に大きい。
ブルースに戻る。唄(メロディ)は、アフリカ民族音楽の音律の一種であろう。12 音平均律ではない。特にブルーノートは, 12 音平均律とかなりずれていると言われている。スケール(音律)は 10音とされ、機能的和声のメジャー・マイナー スケールの 7 音とは違っている。この 10 音スケールは、下から上に順次に上がったり下がったりするものではなく、ブルースフレーズというものがいくつもあり、それらの音を合わせると 10 音位になるというものだ。機能和声的に言うと、一つの曲の中に、メジャーっぽいフレーズがあったり、マイナーっぽいフレーズがあったり、メジャー 7th 的なフレーズがあったり、 7 th 的なフレーズがあったりということになる。これは、一つの曲の中に複数のスケールが同時に存在する状態である。これは調中心(トーナルセンター)の音楽システムである。この音楽システムはヨーロッパにも大昔はたくさんあったので、非ヨーロッパという訳ではないが、機能的和声とは相容れないシステムである。結局、唄(メロディ)は、和声を無視して唄っているが、和声の伴奏がついている。これがブルースである。ただし、センタートーン(中心音)は、唄(メロディ)、和声、共に同じである。
ブルースは、クラシック音楽とアフリカ民族音楽の混合ということができる。その理由の一つは、機能的和声を持っている。ブルースにおける機能的和声は、クラシック音楽の機能的和声と同じではないが、かなり近いものだ。違いは、クラシック音楽で禁止されている、Ⅴ7 -Ⅳ の和声進行がブルースにはあるということだ。Ⅰ7 のトニックセブンに関しては、倍音を考えると不自然なことではない。ひとつの音が鳴った時、その音を基音とした リディアン または リディアン7th スケールが倍音の中に現れる。 7th 、M 7 th のふたつが倍音の中にある訳である。トニックが 7th でも、決して不自然なことではない。もちろんクラシック音楽的(機能和声的)ではないが、ここは音楽と他の音楽の混合の話である。理由の二つ目。伴奏が 12 音平均律に非常に近い。これは、ブルースギタリストの中には部分的にチューニングをずらす者もいる。理由の三つ目。これは理由の二つ目に繋がるが、ヨーロッパの楽器で演奏している。このブルースは、唄(メロディ)の音律、ピッチ以外は、クラシック音楽にかなり近い音楽といえるのだ。ブルースはクラシック音楽の現在形の一つと言える。
北米で起きたアフリカ民族音楽とクラシック音楽の混合は、中米でもあった。アフリカから、拉致、強制連行されキューバに連れてこられた、アフリカの黒人達が手にしたのは、ヨーロッパ(スペイン)の楽器である。アフリカ民族音楽とキューバ先住民族音楽とスペイン音楽が混合して、キューバ音楽(ラテン)が生まれた。メキシコでも、先住民族音楽とスペイン音楽(キューバ音楽)の混合が起きている。南米でも、アフリカから拉致・強制連行されブラジルに連れてこられた、アフリカの黒人が手にしたのは、やはり、ヨーロッパ(ポルトガル)の楽器である。そして、アフリカ民族音楽とブラジル先住民族音楽、ポルトガル音楽が混合してサンバが生まれた。そのサンバに、北米のブルースから派生した音楽であるジャズを混合して、ボサノバが生まれた。スペイン音楽も、フラメンコなどの古典は、和声ではあるがしっかりした機能的和声にはなっていない。循環コードが多くトニックが 7th コードの時が多い。そしてスケールは フィリジアン+M3 である。 しかし、20 世紀以降のスペイン音楽もラテンも、フラメンコ的な循環コードに機能的和声のミックスした曲が多い。そして機能的和声だけで出来ている曲も多いのだ。キューバ音楽を動画で見ると、ピアノ、べース、ギター、ヴァイオリン、トランペットなどの管楽器、つまり、クラシック音楽の楽器と、アフリカ民族音楽の打楽器で演奏している。結局、12 音平均律と機能的和声なのである。サンバもスペイン語ではないだけで、ラテン音楽である。ラテンもブラジル(サンバ、ボサノバ)もクラシック音楽の現在形の一つであると言える。
翻って、同じ視点で日本を眺めるとどうなるんだろうか?(つづく)