クラシック音楽の現在形とは・・・(2)

現在テレビ等でよく耳にする音楽、ヘヴィメタル、カントリー&ウエスタン、シャンソン、ファンク、リズム&ブルース、ジャズ、そしてそれぞれの国でポップスと呼ばれている音楽、すべてがクラシック音楽の現在形である。これらの音楽は、クラシック音楽を支えた楽器で演奏され、少し緩やかな機能的和声を持っていて、かつ平均律でピッチ補正されていて、多数の一般音楽愛好家に支持されている。明らかに、クラシック音楽が少し形を変え、現在に生きているのだ。そして、現在、クラシック音楽と呼ばれている音楽も、世界中で、数千万人(?)以上の人間が好んで、バッハ、モーツアルト、ベートーベン、ショパン等を聞いているとすれば、当然立派な現在の音楽であり、これもクラシック音楽の現在形と言える。

しかし、クラシック音楽の中で、現代音楽と呼ばれているもの、例えば、シェーンベルク、ジョン・ケージ等は、現在の音楽ではない。

シェーンベルクの無調を目指した音楽も厳密には無調ではないのである。例えば、セリーの最後の音がC音で、次のセリーの 1~4 番目に C 音が来るとすれば(逆行、平行移動、または別のセリー)、その付近に C  という調性が生まれる。完全に無調とするならば、同じ音形のセリーの繰り返しでなければならない。逆行も反転も不可である。

  無調音楽は、人間の脳になじまない音楽システムと言わざるを得ない。これは理屈ではない。地球上の民族音楽で調の無い音楽が存在するのであろうか?古代の民族音楽にみられるトーナルセンターシステムは、無調ではない。センタートーンが調である。無調音楽というのは、理論上のシステムでしかない。音楽というものが、人間の脳が聞くということを前提にしている以上、音楽は、理論(理屈)とは距離のある存在でなければならない。なぜなら人間の脳は、今のところ理論的に説明されていない。脳は科学ではほとんどわかっていないのである。つまり、脳は科学(理屈)から遠いところにある存在である。その脳が聞いて判断する音楽は、よいか悪いかの感情だけである。理屈ではないのだ。

そして、このシェーンベルクの現代音楽は、現在の人間に支持されているとは言えない。作曲科の学生を除いたら、ほとんどの人間は、これを好んで聞いてはいないだろう。ゆえにこの現代音楽は、クラシックの現在形とは言えない。そして、ジョン・ケージの音楽  ” 4 分 33 秒 ” 。これは現代の音楽ではなく、逆に、非常に古い音楽システムの一つであると考える。日本では、古くから自然発生の音を楽しむ習慣がある。虫の音を楽しむ、風鈴の音を楽しむ、川のせせらぎの音を楽しむ等は、日本人なら普通にあることだ。現代音楽というほど新しい考え方ではない。このジョン・ケージの音楽システムも現在、一般の支持者は多いとは言えない。よってこの音楽システムもまた、クラシック音楽の現在形とは言えないだろう。つまり、現代音楽のほとんどは、クラシック音楽の現在形ではないと言えるのだ。

北米でクラシック音楽とアフリカ民族音楽が混合してブルースが生まれ、中南米でラテン・ブラジルが生まれたのと同じようなことが日本でも起っている。

それでは、日本において、北米におけるブルース、中南米におけるラテン・ブラジルに相当する音楽とは何なんだろうか?江戸時代にはすでに色々な日本の伝統音楽があった訳で、それらの音楽と、明治以降積極的に輸入されたクラシック音楽との混合が起った。日本の伝統音楽の香りがあり、機能的和声を持っていて、クラシック音楽を支えた楽器群による12 音平均律で演奏されている恐らく現在の日本において1千万人以上に支持されている音楽とは、歌謡曲・演歌ということになる。歌謡曲・演歌は、かつてヨーロッパにおいても、多数のヨーロッパ民族音楽の混合によって形成されてきたクラシック音楽が、今、ワールドミュージックとして、世界中の音楽と混合する過程の中で、日本においては、日本民謡との混合において成立したと考えられる。元々、日本の民族音楽も、日本土着の音楽と、中国・韓国・南太平洋音楽との混合によって成立したもので、歌謡曲・演歌にもこれらの音楽が混ざっている。しかし、機能的和声・12 音平均律・クラシック音楽を支えた楽器群というものは、絶大な力を持っており、ワールドミュージックにおけるクラシック音楽の力は圧倒的である。なんだかんだ言っても、歌謡曲・演歌は、ほとんどクラシック音楽と同じといえる。かつてのドイツ音楽でさえも、周辺のヨーロッパ民族音楽を吸収した時は、この程度の違和感はあったはずである。

では、クラシック音楽と歌謡曲・演歌の大きな違いは何だろうか?今日の歌謡曲・演歌も唄の伴奏はストリングス・ピアノ・ギター・管楽器などのクラシック音楽で使用されている楽器、エレクトリックギター・エレクトリックベース・ドラムスなどのクラシック音楽の楽器を発展させたもので 90% は演奏されている。曲によっては和楽器がこれに加わり、そして唄は人間のボイスというのが現在の歌謡曲・演歌である。圧倒的にクラシック音楽の楽器が多いので、音律は当然 12音平均律になり、12音平均律でピッチ補正をかけることになる。しかし、民謡をベースにした演歌歌手の場合、ピッチが少し高めにずれることも多い。

日本の民謡・長唄・浪曲には和声はないが、歌謡曲・演歌には和声がある。機能的和声から時々はずれることもあるが、これはクラシック音楽も同じでバルトーク、ラヴェル、ドビッシー、ショパンなど舞曲、民謡などが混ざると機能的和声が少しはずれることになる。伝統的な舞曲、民謡は、機能的和声が確立される前からあるものなのでしようがないのだ。とにかく日本の歌謡曲・演歌には機能的和声がある。

クラシック音楽も歌謡曲・演歌も、機能的和声を持っていて、クラシックで使われている楽器がメインで演奏され、12音平均律になっている。クラシック音楽も歌謡曲・演歌も、システム的にはほぼ同じといってよい。

あえて違いをあげるとすれば、クラシック音楽は横(時間的)に揺らし、歌謡曲・演歌は縦(ピッチ的)に揺らしていると言える。クラシック音楽における横の揺れは 2 種類あって、ひとつは、 1 小節・ 1 ビートでインテンポの状態。1 小節・ 1 ビートとは、 1 小節は 1 で割れなければいけないということで、4 小節は 4 で均等に割れなければいけないということだ。ビートの中はある整数で均等に割れても良いし、割れなくても良いのである。従ってビートが連続すれば、 1 小節・ 1 ビートとは、 1 小節・ 2 小節・ 3 小節  ~   と小節の長さは均等であり、かつ、 1 小節の中は均等に割れても割れなくても良い状態である。つまり、 1 小節の中に長めの 4 分音符があったり短めの 4 分音符があっても良いということで、これがフレーズの揺れに繋がる。ワルツは 3 で均等には割れない。ワルツは 1 小節・ 1 ビートなのである。二つ目は、テンポが揺れる場合。これはインテンポから明らかにはずれる。リタルダントとか、アッチェル、フェルマータなどだ。クラシック音楽でも 1 曲の中の70 % 以上がインテンポという曲が多い。ただしインテンポの中でフレーズが揺れている。  1 小節・ 1 ビートだ。それに比べ歌謡曲・演歌では横の揺れはかなり少ない.揺れの幅もわずかである。インテンポにおける横の揺れでもクラシック音楽では大きく揺らすが、歌謡曲・演歌ではわずかに揺らすだけである。次に縦の揺れ。これはピッチのベンディングのことだが、歌謡曲・演歌に限らずブルース・ロック・ポップス・ジャズなどではベンディングは普通にある。クラシック音楽においては、ポルタメント(直線的な一定の比率でのピッチのアップまたはダウン)はあるが、ベンディング(曲線的なピッチのアップまたはダウン)はほとんどないとされている。イタリア民謡においてのベンディングを私自身が確認しているので、古くからのヨーロッパ舞曲や民謡などではベンディングはあり得ると思う。クラシック音楽もごちゃ混ぜなのだ。ただ、クラシック音楽のベンディング幅は、演歌・歌謡曲・ブルース・ロック・ポップス・ジャズ・などに比べてわずかである。

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